写真展を終えて

雑記

こんにちは佐々木拓馬です。私の簡単なプロフィールはこちらから。よろしければご覧ください。

阿部明子の写真展「土地をぬう道 ヤトがくる」が5月14日に終了しました。

いかがでしたでしょうか。

まずはじめに私は、ご来店いただいた多くの方に感謝を申し上げたい。心よりありがとうございました。ご来店いただけなかった方の中にも、ichiruのやっていることに興味を持ってくれていたことを、知っています。

これも嬉しい限りで、とてもありがたいことでございます。

阿部の展示を見に来てくれた方、ichiruに来たら写真展がやっていて見てくれた方、土日に来れないから来てくれた方、ichiruも阿部も知らなかったけど写真作品を購入してくれた方、たくさんの方が思い思いにこのイベントに参加してくれたことを嬉しく思っています。

そういったことも含めまして、やって良かったと率直に思っています。作家の阿部とも終了後に話しましたがやって良かったといっていました。重ね重ねありがとうございました。

簡単にどういった展示を行ったのかを振り返ってみたいと思います。

1番撮りたいと思っていた目的地までの道のりを5歩進むごとに1枚の写真を撮りそれをモルタルのブロック900個超に貼り付けたものをichiru店内に道順通り全てを並べた展示、でした。

ことばにしてみて思いました。怖っ。

戦慄ということばがぴたりと当てはまるこの感覚、お分かりでしょうか。

作家・阿部明子の執念、気迫、言い表すことのできないエネルギーを店内で感じたはずです。

質問があります。900個超のモルタルブロックを見た事があるでしょうか。私はありません、でした。見ました。じぶんの店で。すごかったです。

語彙崩壊ご勘弁、すごいインパクトですごかったんですよ。

すごいをすごい使いすぎていてすごいすみません。

どのくらいすごいかというと、展示が終わってブロックがなくなった時、すっごいスッキリした空間になったのです。しみじみと終わったな、とは思いませんでした。

何かが押し寄せ退去していったという印象でした。

あんな質量の写真展は2度とみる事がないような気がしました。写真に対して質量と表現することもないでしょう。洋服とichiruの内装とも相まり、唯一無二の空間でした。

阿部は言っていました。この展示をきっかけに三崎の街中で展示をしていけたらいいな、ということを、言っていました。ぜひ期待したいです。

正確な引用ではありませんが、敬愛する岡本太郎が「芸術は日常の中で気軽に触れられるべきだ」、そんなことを言っていたなと思い出します。

ichiru という空間自体、芸術で溢れています。比喩ではありません。とんでもないクオリティの、50年前の洋服が整然と並んでいるのです。買えて、着れる芸術と言ってもいいのではないでしょうか。まさに、日常の中でも1番近くに存在する芸術と言っても過言ではありません。

三崎の街にはichiruの他に「bop」という古着屋、そして「古今アンティークス」と「古道具 ROJI 」という古道具屋さんが2件あります。ちいさな港街に、買える芸術がたくさんあります。素晴らしい。

これからを期待したい 汀線 という古本屋も出来たようだ。

阿部の写真展をはじめ芸術や見たことのない何かに触れたり知ったりしたときに、それぞれの感想を持つと思います。ことばに出来ないことも沢山あるでしょう。それでいいのだと思います。答えなどありません。

「良かったね」「すごかったね」「なんだったんだろ」。なんでもいいではありませんか確かに何かを感じたということこそが宝物なのです。

驚きや発見は日常の中に潜んでいます。

「なんだ、これは!」

これもまた岡本太郎の名言ですが、これを道標に、阿部明子と三﨑の街のこれからを観察して、少し感想を言える場所として ichiru があったらいいなと思います。

ではまた。

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