古着ってなに?

よくある質問

こんにちは。佐々木拓馬です。わたしの簡単なプロフィールはこちらです。よろしければご覧ください。

よくある質問シリーズ、ずばり、古着ってなんですか?にお答えしようと思います。

古着を扱うことをはじめて長く経ちますが、「古着ってなに?」と言われてもあまりうまく答えられません。しかしそもそもそんな質問をされた事がありません。よくある質問シリーズなのに。

なんとなく古着という言葉で伝わっているような感じになっている、という雰囲気です。それでも十分なのですが、というか十分だったのですが、近年、古着という言葉の意味がかなり複雑になってきている気がしたので書いてみようと思いました。

質問されないけど、みんな大なり小なり疑問がありそうだなと思ったのです。

そもそも古着って?

わたしが古着に興味を持ちはじめたのは20代前半、2000年代の初頭でした。もうあんまり覚えていません。あまり覚えていないのが遠い昔のことだからなのか歳のせいなのか、「そのどちらもでしょう」の声が聞こえてきます。そういうことは直接言ってください。ビンタします。ご来店お待ちしております。

お肌には何某なにがしかの液体を塗り込まなければヤバい状態になってしまっています。40年生きた証を皮膚が誇示してくるのです。40年の肌をアピールしないでくれ知っている、と言い聞かせながらやはり何某かの液体を染み込ませご機嫌を整える毎日。

わたしが歳をひとつ重ねるスピードを追い越すように世の中も変化している、という事だけは2000年初頭を振り返って唯一覚えていることです。

古着というちいさな世界も大きく変化してきました。

江戸の頃からあったと言われる古着屋ですが、その頃は個人間でのやり取りが主流だったようです。メルカリのリアル版という感じでしょうか。

江戸から明治へ時代が移る頃、世界は産業革命の時。物が急激に増える流れの中、中古繊維も例外なく増えていき産業として成長していくこととなります。

個人で古着を売っていた商いとも言えないくらいの小さなものが次第にリサイクル販売業となっていく流れがここからはじまっていくこととなりました。

鎖国から開国へ、C to C から B to B 、B to C へ、そして再び C to C の流通が活発になっています。CとかBとか訳わからないから読むのやめたと思ったあなた。気持ちはわかります。Bはビジネス、企業です。Cはカスタマー、個人です。

ichiru も MADE IN JAPAN を専門としてセレクトしているので無理矢理に言い換えると鎖国状態とも言えそうです。世の中の流れと同じくして一周まわったというようなことなのでしょうか。また新しい流れが始まっているということも含めて、一周回ったという言葉で説明したくなります。

古着という言葉の多様化

繊維を集積してく側が成長していくと、その場所には古着を探している者が自然と集まってきます。

私のような古着屋などです。

江戸の頃、古着とは着古した着物を指す言葉でしたが、洋服の種類が増えるとともに古着という言葉の中に意味が重なり合って複雑になってとても分かりにくい、イメージしにくい感じになってきました。

少しずつ迫っていきたいと思います。

古着を大きく2つに分てみましょう。皆さんが頭の中で想像できる古着、これをレギュラーとして、それよりも価値のあるものをヴィンテージとします。します、というよりされています。こんなところにもヒエラルキーがあるのです。

大きく分けた2つの中にたくさんのカテゴリーをうみだして洋服を分ける事ができてしまう為、古着屋も専門を深め、個性を競い合っているという状態です。それがより古着というものを言葉として捉えにくくしているのだと感じます。

何を隠そう、私も始めるまでは何も分かっていませんでした。パーカを着ていたら古着が好きな人だと思っていたし、エスニックのお店のことも古着屋だと思っていたほどの素人っぷりです。

今の若い人たちはたくさん知識を持っていて当時の私のような感じではないですが、だからこそ、古着というひと単語だけでは言い表せないもどかしさがあるのではないかと思います。

だから、古着って何?!

ここまでのことを一旦整理しておきます。

日本国内に限った古着の話ではありますが、江戸の頃は着物や野良着を指してい多物が産業革命によりものが増える流れの中で繊維も増えて中古繊維業も産業化して、着るものが増えると共に古着という言葉の中でもカテゴリーが増えて捉えにくい複雑なものになってきた、という事でした。

1982年うまれの私が古着を認識した時は、90年代。古着=アメカジみたいなシンプルな構図でした。

では2023年、古着を簡潔にイコールで結んでくれよ!分かりました、言いましょう。これに対する私の答えは、古着だと思ったら古着。それでいいじゃないかと思うのです。

じぶんの中にはっきり答えがあるのにここまで書いてきたのは、モヤモヤしている人がたくさんいると感じたからです。そしてその原因は確実に古着屋が作っていると思ったからです。

何も作り出していない古着屋というものが複雑な概念だけ生み出しているという悲しき状況です。

なんでもいいじゃん。

古着の世界に足を踏み入れた時、業界全体に立ち込めていた雰囲気はガチの古いものだけが古着でそれ以外はゴミみたいな感じがすごくて、私は疲れていました。

その当時レギュラーと言われていた、数が集まりやすいアイテムもどうでもいいという感じで、値段も二束三文、好んで着たり、仕入れていたりすると馬鹿にされるほどでした。今では当時レギュラーと言われていたアイテムたちも数が集まらなくなって宝物のように扱われていたりします。

古着とは、時間に価値をつけたもの

こういった扱われ方から分かるのは、数量と時間が古着の価値を決めているという事です。数量と時間はセットになっている事が多いです。

例えば、このブランドのこのアイテムのこの年代のものは生産数が少ない、といった感じです。そうなると、値段は上がります。クオリティやデザインの良さなどでは判断されていません。まるで、飲めないウイスキーです。古着というのはそういった世界観なのです。

そしてゼロ年代以降、投機としての市場が強くなり、さらにそういった世界観が一部でとんがっていきます。若い人が「古着は高い」というイメージを持っているのは、投機としての市場の盛り上がりが一役かっていると言えそうです。

その流れなのかどうかは分かりませんが、ブランドも古着化しているように感じます。

古着のブランド化ではなく、新しく作り出されたものが古着的な手法を取られて販売されているのを見かける事が増えました。簡単にいうと希少性を作り出し、工程の大変さを見せて価値を引き出す、という感じです。

改めて大切だと思うこと

価格が価値をリードするという状態に惑わされてしまうと、たくさんの事を見失ってしまいます。

その中でもひときわ大きく共通して見失ってしまっている事があります。それは、そのモノをつくった人への敬意がなくなってしまっているという事です。

それはつまりつくったその人の仕事を、無駄に、無かったことにしています。仕事を無駄にしてしまっているというテーマはとても深いので、ここでは詳しく書きませんが、違う機会に書いてみようと思います。

価値が価格をリードするのは市場として正常であり、常にそうあってもらいたいのですが、そうはならない世界です。

さて、古着が面白いのはここからです。

古着には、一般的な価値基準では評価されにくいものがたくさんあります。変な柄とか、そういうものです。

レアなものというのも古着のもっている面白い個性のひとつですが、判断しにくい「なんだこれは?!」というものこそが古着の全体的な価値を決めているのではないかと、私は確信しています。

古着に限ったことではないのですが、私自身、予測できないこと、決まりきっていない事が大好きです。いつでも「なんだこれは?!」と思わせてくれた古着の世界がとても魅力的でした。

もう少し違った言葉で言い換えると、自分で価値をつけられる余白があるとも言えるのだと思います。それはとても面白い事です。そうやって考えてみると「古着は時間に価値がついたもの」ということが、もう少し深い意味を持ちます。

価格ではない価値を自分なりに見つけて認めていけるということは、それは過去の人への敬意であると同時に、洋服を介してのコミュニケーションがうまれていると、私は思うのです。

それは言葉でもなく意味でもない、想いと想いのコミュニケーションです。一度は捨てられてしまった洋服に再び価値を持たせて、この先、大切に着ていく過程で、作った人の想いとたくさん交流することでしょう。

まとめ

  • 着物の時代のリサイクル品とは違う意味をもつようになる。
  • 主にアメカジのアイテムを古着と捉えていた。
  • 洋服のカテゴリーの増加にともない、古着という言葉が捉えにくいものになる。
  • ヴィンテージ加工のクオリティも上がり、一般の人には古着と新品の区別がつかない。
  • 時間価値がついたものが古着。
  • 想いをコミュニケートするもの。

ここまでお話ししてきたことをまとめると、この通り短くなりました。ここまで読んでくれた人たちの気持ちを踏みにじるような暴挙です。しかし、さらなる暴挙となる、古着をひと言で言ってしまったフレーズをお忘れでしょうか。殴られる前に、それをもってして、私はこの記事から逃げ出したいと思います。

じぶんが古着と思ったらそれが古着。そして変なものはだいたい古着。

ではまた。

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