1日の営業を終え、静まり返った閉店後の
ichiru 。
しんとした中、黙々と残業をこなす私、
ササキタクマ‥‥‥
って、そんなわけない。
音楽が好きとわざわざ言ったのに、NO MUSIC なんてあり得ません。
なにかしらの音楽が必ずかかっています。上のリンクの記事「ichiru の選曲」以外の、好きまっしぐらな音楽をかけて、ご機嫌に、はたらいています。
言うなれば「裏・Music」です。
ichiru の栄養にもなっているであろうが表では触れられないこと。私が個人的に好きなアーティストの好きなアルバムの事を褒めたり讃えたりしながら、紹介してみようという連載企画です。
その昔、じぶんの事をまだ若いと表現できていた頃に愛読していた「BURST」という雑誌に、大貫憲章の連載がありました。
何枚かのアルバムをピックアップし、それぞれ少しの解説が書かれた1ページのものでしたが、ちいさなその連載が私に与えた影響は計り知れません。
大貫憲章のような素晴らしい評論や影響を、私が同じように届けられないとは思うのですが、少しでも、道標となれたらいいなという気持ちでキーボードを叩いています。
vol.1は大好きな BLANKEY JET CITY 。サブスク解禁の興奮冷めやらぬ中、書いています。
BLANKEY JET CITY
説明不要の唯我独尊最強無敵唯一無二の3ピースバンド、ブランキー。
私が紹介するまでもなく掃いて捨てるほどの紹介文が転がっていますが、HMV のものが激アツでしたのでこちらからどうぞ。
ブランキーの名盤として多くの人が先ず挙げるのが3枚目のアルバム「C.B.Jim」でしょう。
解説などできるはずもありませんので、好きなことを好きな様に語っていきたいと思います。
名盤 C.B.Jim
私がブランキーを初めて聴いたのは高校2年の時だったはずです。
聴いたのは「国境線上の蟻」というベストアルバムでした。
その当時17歳。若者の至り最上の頃、私の音楽的な洗礼はパンクでした。パンクが何なのかなんて分かってはいません。ただ、かっこよかったから聴いていました。今でも大好きです。
BPMが早くて、ボーカルがシャウトしているものが至高です。ラモーンズやダムド、90’s のバンドなどを聴いていた覚えがあります。
そんな時に出会ったブランキー。アルバムの中には私にとって、早くて感じ良く叫んでいるボーカルの曲もありましたが、その時の私には難解な印象だったのを覚えています。
そしてその出会いの後、すぐに解散のニュースに触れたのも、鮮明に覚えています。
難解だと感じながらも、こんなバンドが日本にいるんだという驚きと誇らしさも感じていたので、かっこいいバンドというのも解散するのかと少年ササキは思ったのでしょう。
ブランキーの衝撃というのは、言葉でもありました。あえて恐れずに言うと、詩ではなく言葉。
剥き出しの生々しい言葉が、訳も分からず頭にこびりつきました。
D.I.Jのピストル
あまりにも有名な歌詞ですが、引用します。
メロンソーダとチリドック
BLANKEY JET CITY「D.J.Iのピストル」より引用 作成: Kenichi Asai
そいつがあれば生きていけると
思っているオレはケツの青い
最新型のピストル
メロンソーダとチリドックを食べていればピストルのようになれるのだと思い込み、ピストルで撃たれたかのような傷を受けたことがある、そんな私の実体験付きの危険な歌詞です。
当時のササキ少年には理解できなかった曲でも、この剥き出しの言葉には見逃せない何かを感じて忘れることができませんでした。ピストルで撃たれたかの様な傷を受けるまで、メロンソーダとチリドックを食べ続けたものです。
その後この言葉を頼りにというか、忘れられずにというか、ブランキーの音楽に戻っては離れを繰り返します。まだしっくりときてはいない感じがしながらも、心を引っ張られる言葉を味わいたくて挑戦する、というような聴き方でした。
40歳を越えた今でこそ、じぶんの好みが分かるような分からないような感じですが、若かりし頃は、好きなものが本当に好きなのか、嫌いなものが本当に嫌いなのか、分かっていませんでした。
そしてベストアルバム、通称白盤・黒盤の2枚に出会い、「ブランキーが好きだ」とようやく気が付きます。その時はキャリア後半の楽曲を多く含んだ黒盤にやられました。
「ガソリンの揺れ方」などの素晴らしい曲がずらりと並ぶ中、私は「ピンクの若いブタ」という、やや本筋ではなさそうな曲にシビレました。
歌詞中に出てくる”ピンクの若いブタ”の”ピ”のシャウトっぷりに腰が砕けましたよ。今でも大好きな曲のひとつです。
なんで好きか
1〜2年の時を経てようやく好きになったブランキー。
一度聴いてピンとこなかった音楽をそこまで聴き続ける事って無いみたいですね。何人かの知人に言われたことがあります。私はブランキーに限らず、結構繰り返し聴きます。
ピンと来なくても繰り返す行為は、映画などでもあります。映画は2時間ほどの旅になるのでハードルが上がりますが、音楽はすぐに違う場所に連れていってくれます。
どこで何をしていても、何かをしている最中だったとしても、別の何かに成れたり、別の場所に連れていってくれたり、気軽にさまざまな旅に連れていってくれる音楽に何度も救われてきました。
ふと思い出した時に、当時受けきれなかった曲を聞き返し、アーティストが作り出した世界へと今のじぶんで踏み込む、ということを楽しんでいます。ブランキーのことも好きになれて本当によかったと、しみじみ思います。
さて、ここからは私の永い独り言です。
ブランキーはそれぞれの歌の中にそれぞれの物語があり、その主人公の主義主張、想いや意見を語る構成になっていることが多い気がします。
主人公は自分のことをはっきりと迷いのない言葉で、一人称で言い切ることが多いのですが、自意識だけが強かった私にはストレートに響いてきて、ちょうどよかったのです。
歌というのは相手の事を歌ったものが多いです。相手の事を歌うということの代表例は、恋愛がテーマのものでしょう。「あなたに会いたい」だったり、私には想像して書くことすら難しい、
“相手”が強烈に存在するものです。
一方、その反対に、自分の事だけを歌うというのは‥‥私には例が思いつきません。
ロックやパンクのように荒くれて激しい印象の音楽であっても、自分のことだけを歌っているという曲やアーティストを、思い浮かべることができません。
ロックやパンクのテーマとして選ばれることが多いのは「孤独」「反抗」「自由」などですが、これは、自分の内側を深く掘り下げて表現することです。
それによって実は多くの人にとって普遍的な感情や経験が表に出てきて、共通の価値観を持つ者たちを結びつけ、ファンや文化を作っていきます。
我が道をゆくというような感じではなく、メッセージになっているという感じでしょうか。
孤独、反抗、自由という「じぶん」を高らかに叫んでいたとしても、個人の体験が他者との接点を見つけるメッセージとなっていたりします。
一応言っておきますが、私はロックやパンクが大好きです。高らかに叫び、多くの人を惹きつける様子も、そこに集まる私を含めたファンのことも大好きです。
歌の起源についての正確な答えを私は持っていませんが、コミュニケーションや感情表現、不特定の者に語りかける手段として言葉をリズムに乗せて現代の曲になっていったのかな、という感覚は皆が持っているはずです。
表現方法やメッセージの在り方が違うだけで、恋愛ソングもロックンロールも、強烈な自己の表現が他者との共鳴をつくる大きな力になっています。
この前提を持った上でもなお、ブランキーは自分のことだけを歌っていて、そこが好きなところです。自然とメッセージに変わってしまう音楽という表現の特性があるにもかかわらず、なぜブランキーというバンドは己の事だけを歌っていると感じられる曲があるのでしょうか。
ブランキーと他のアーティストの違いは「疑問」の在り方なのではないかと感じています。
アーティストの表現の始まりには「なぜこうなのか?」というような疑問や問いかけがあり、それを掘り下げることで深い感情やメッセージが生成され、人々の共感や共鳴を結果として呼んでいくというパターンは多いのではないでしょうか。
疑問の深さは、そのテーマに対するアーティストの探究心や葛藤を反映させますし、同じような疑問を抱える人たちが自然と惹きつけられて共感を生み出すというプロセスは、問いを共有し共に考える、というコミュニケーションそのものです。
私がブランキーというバンドに感じる他との違いは、「疑問を持っていないように感じる」という特質的なメッセージの在り方です。
友人とブランキーの歌詞について話していた時、私が「ブランキーの歌詞はヤバい」という言葉を連発していました。
それを受けた友人は、全曲の中で何が1番ヤバいと思う?という質問をしてきました。3つくらい出して絞れないなぁと、煮え切らない回答をした事が忘れられません。
その友人は私を嗜めるかのように優しく静かに「私はライラックが1番ヤバいと思う。ライラックという花を知らないまま、こういう花だと言い切っているから」と言いました。
衝撃でした。
ライラックってどんな花 ときどき耳にするけど
BLANKEY JET CITY「ライラック」より引用 作成: Kenichi Asai
どんな花なのか知らない
花なんて 昔からどうでもよかったのに
でも ライラックってどんな花だろう
たぶん赤くて 5cmくらいの冬に咲く花
そんなに人気はない花だと思うけど
自意識だけが強い私に刺さりまくるブランキーの歌詞の中でも、ライラックはその骨頂だと認識させられたコメントでした。
自己のことを突き詰めれば突き詰めるほど、他者へのメッセージとなっていくコミュニケーション機能を備えた音楽という装置を壊しているかのような、どこまでいっても個人的な気持ちでしかないライラックの歌詞。
近くで見ると 赤がオレンジに見えるところがあって
BLANKEY JET CITY「ライラック」より引用 作成: Kenichi Asai
小さく揺れてる
おもいっきり息を吸い込んでみなよ
乾いた唇を閉じたまま
冷たい風と一緒に
花の匂いが体中に広がってゆくのがわかるだろう
明るい光の中で 吐く息は真っ白
浅井健一以外の人が書いていたとしたら、まともに読めないような気がしてしまいます。
私がブランキーに感じているのは生き様なのではないかと、今、書きながら思いました。
コミュニケーション機能を備えた音楽という装置を壊しながら、我が事を思うがまま呟くでもなく語りかけるでもなく剥き出しの言葉で人々の脳裏にこびり付かせ、なおもファンを獲得してしまい、ロックやパンクとも違う新しい場所に存在しながら、堂々たる貫禄でロックやパンクでもあるBLANKEY JET CITY 。
解散してからもずっと3人の姿を追い、事あるごとに音楽を聴きなおし、あたかも同じ様な生き様で立っているかのような錯覚に浸りいい気になっている私は、ケツの青いただの中年である。
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