上村一夫「あなたのための劇画的小品集」
1974年〜1976年までCOOKというポケットサイズの月刊誌に「あなたのための劇画的小品集」という7ページの短編が連載されていました。その全25回の作品が2025年3月15日に、初の単行本化として刊行されました。
上村一夫ファンの間では待ち望まれていた一冊です。
その期待がそのまま形になったかのような丸背の上製本という美しいビジュアルで、ハードカバーの紙の手触りがしっとりと手に馴染みます。しおり紐 までついていて、嬉しい限りです。




約50年前に描かれた本作の原画は1枚も残ってなかったそうですが、雑誌からの分版という手法で、掲載当時の2色印刷を再現しています。
本を開くと、黒と朱の綺麗なバランスに目を奪われながら、昭和という時代のかおりが立ち上がります。上村の鋭い目線で的確に描かれた建物やインテリアなどからもその時代の独特な雰囲気は伝わってきますが、昭和を強く感じるのは人の表情や言葉、心の動きなどからです。
令和の今、上村が描く世界に触れると、その時代にいたであろうその人が今も生きているかのような生々しさと瑞々しさがあり、その空気がそのまま本に宿っています。

女性からの目線を中心にした男女の物語から見えてくる昭和の世界線に触れた時、その時から変わったものと変わらずにあるものを、いまを生きる私たちは感じるはずです。
「あなたのための劇画的小品集」の物語を読むことで、以前からあった男女の違いの輪郭をはっきりと感じさせます。そういった意味でも、いま刊行されるべきタイミングだったのかもしれません。
vol.14 の原宿表参道は、男と女の見ているものの違いや感じ方を、7ページだけで見事に伝えきっていると言えるでしょう。他にも vol.8 雪崩 では男と女の言葉と気持ちが交差して交わらぬ感じが詩的に描かれています。

登場する女性のほとんどが、男性によって悲しみを背負わされているように見えるのが印象的です。
例えば vol.7 地下鉄の毛糸で「お腹の大きな花嫁姿なんてまったくカッコ悪いよ」という男のセリフが出てきますが、今では考えられないような言い回しです。vol.18 弟の部屋では「女は三界に家なし」という言葉が出てきます。現代では使われることが少なくなってきましたが、歴史的に女性の社会的地位や生き方の象徴となるような言葉でした。
反面、vol.8 白い朝の女性は、これからの社会との繋がりに責任を持とうと自立の心を積極的に楽しんで実行していこうとしている所、両親からお見合いの話を持ちかけられて塞ぎ込みます。男性の存在というのが何かを制限される存在として描かれていることからも、その悲しみが伝わってくるようです。

上村は女性の目線で描く作品を通じて、代弁をしていたのだと感じることもできます。
先見性を持った上村の価値観が現代には広まってきたとは思いますが、昭和の時代にあった露骨な表現が影を潜め、控えたり装ったりしながらもまだ変わらずに残っています。
代弁者としての上村を最も感じるのは、花が擬人化して女性を励ます vol.13 しくらめんでしょう。この回には上村の代表作「同棲時代」の今日子と次郎を思わせるようなシーンがあり、ファン心をくすぐられます。

作品全体を貫くように感じられる詩的なリズムも「あなたのための劇画的小品集」の魅力のひとつです。vol.20 故郷の春は25編の中でも特に上村一夫の詩的な才能を味わうことができます。
vol.12 雨もいいんです。いやいや、vol.10 爪の扉絵なんて、一枚の絵で詩になっているじゃないですか。vol.25 誕生花と最終回の雨の花嫁もとってもいいんですよね。
溢れる魅力が言葉を走らせます。

きっと、読み終わったら、美しい佇まいのコンパクトな本は、常に持ち歩きたくなる詩集のような存在となるはずです。
女性の美しさ、かっこよさ、強かさ、業の深さなどを魅力的に描いた上村一夫。
そこから見える男と女の関係と社会。
「あなたのための劇画的小品集」は、いまを生きる私たちへの手紙のような作品だと感じました。
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