お直しと服の物語 vol.1
エプロンとして使う
イギリスのリバティ社のデッドストック生地が数枚入荷して、すぐに売れてしまいました。
そのうちの一枚がこの画像で、正確な年代は特定できませんが、おそらく70’s〜80’s 後期のものでしょう。
この生地を購入してくれた方が、エプロンとして使いたいけどボタンホールがないことに戸惑いを見せていたので、ichiru でストックしているヴィンテージのボタンから好きなものを選んでもらい、ホール穴を開け、手縫いのボタンホールステッチでかがりました。
今では考えられないような不思議な形状で販売されていたであろうこちらの生地。衣服に仕立てられているわけではなく、一枚の布なのですが、片端はウエスト用のゴムが縫い付けられています。
ゴムのテンションはきつくもなくゆるくもない、とてもちょうどいい感じです。素人が個人でつけられるようなクリティではないことから、おそらくリバティがゴムをつけて販売していたのだろうと考えられます。
ゴムの側を上にして円をつくると、スカートの形になります。探偵のように推理が続きますが、スカートの原型として販売されていたのでしょう。その推理を答えとして購入した方にお伝えして、ボタンをひとつつけてエプロンとして使いたいとなりました。
リバティは1875年にイギリスのロンドンで創業し、のちに成功を収め代表的な事業となるテキスタイルブランドの老舗です。100年以上の歴史を持つイギリスの会社が、その当時から日本との関わりを持っていたということは既に忘れられてしまっています。
リバティは創業当初、日本やインドから布などを仕入れて販売していました。1890年代にはオリジナルのプリント生地、リバティプリントがうまれます。今ではリバティの代名詞ともなっているリバティプリントの小花柄は、日本から買い付けた着物の小紋柄がモチーフになっていると言われています。
1970年代の後半からリバティオリジナル生地の輸出が始まり、80年代には日本国内でのリバティプリントの生産も始まります。日本の伝統美にインスパイアされたデザインも多く作られています。
こういった背景からも、今回のこちらの生地は70’s〜80’sのものではないかと推測されます。
古くから日本に影響を受け、交流まであったリバティの生地を、いま、日本でも楽しまれているというのは、古着屋として最高の物語です。

この生地をエプロンとして使おうと考えたセンスのいい人は、東京で多店舗展開している puhura という食を中心とした素敵な会社で働く素敵な女性です。
どのお店も行ってみたくなる魅力ある場所で、そこで働く人がこのリバティのエプロンをつけている姿はきっと、いい佇まいに違いありません。
飲食店での仕事は、ほぼ全て人の手によるものです。シェフ、ホールスタッフ、なにを問わずともなにを言わずとも、手仕事が当たり前のように行われています。
その所作の美しさ、店内の至る所から鳴るあらゆる音、人が集い人々が紡ぐひと時の物語が入れ替わり立ち替わり続いていく。その店内の一片にちいさな手縫いのエキストラとして参加していると思うと、よろこばしいです。

三崎でもpuhuraのおいしいを味わうことができる Fossetto があります。民泊 つぎとはぎ と どまいま の2つがあり、飲食と連携して楽しむことができます。
イギリスと日本、東京と三崎が洋服で交わる物語です。
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